物語のなかの集合住宅:第8回『ティファニーで朝食を』――名前をつけてやる

 

男に貢がせた金で刹那的に暮らす娼婦・ホリーと、いまいちうだつのあがらない作家・ポールとの恋模様を綴った映画『ティファニーで朝食を』は、小悪魔的なホリーを演じたオードリー・ヘップバーンの代表作のひとつ。ニューヨークの宝石店「ティファニー」の名を一躍有名にしたほか、2008年には村上春樹がトルーマン・カポーティの原作を新訳して話題になった。

物語は、ホリーの住むニューヨークのアパートメントの階上に、ポールが引っ越してくるところからはじまる。集合住宅が舞台のドラマらしく、吹き抜け共同階段での会話や互いの部屋への移動が、演出上の効果をあげている作品だ。

多くの集合住宅は、各部屋が同じ規格のもとにつくられている。壁や床や天井の建材、間取り、水回り、ドアのデザインまで同じ。だから本作では、住人の個性がインテリアで表現される。ただしドアの外からそれはわからない。

そのため、各部屋には部屋番号という名のラベルがついている。住人以外にとって、その部屋が誰の居室かを区別する手がかりはこれしかない。いっぽう、人間のパーソナリティを外部から判別するラベルにあたるのが、その人についた「名前」である。

人間社会において「名前」は、古来特別な意味をもっていた例えば東アジア文化圏では、真の名前を「諱(いみな)」として、他人が軽々しく口にすることを避ける傾向にあった。真の名を口にすれば、その者の人格を支配すると考えられていたからである。また、赤子の「名付け親」になれるのが地域の名士に限られているという風習も、世界各地に根強く残っている。

それほどまでに、「名前」とは重要なものなのだ。しかし、『ティファニーで朝食を』のヒロイン、ホリーの名前は本名ではない(ということが物語中盤に判明する)。そしてそのホリーは、ポールの名前を知っていながら自分の兄の名前である“フレッド”と呼ぶ。さらにホリーは、自室で飼っている猫になぜか名前をつけない。真(まこと)の名前が不在のまま、物語が進む。

真(まこと)の名前で関係を結んでいないホリー、ポール、猫の関係性はとても危うく心もとない。それを「都会人同士の、誰にも支配されない自由な関係」と説明することもできるが、彼らは最終的に「自由で気ままな都会ぐらし」より大事なものを発見する。物語のクライマックス、ポールは「人のものになりあうことだけが幸福の道だ」と声を荒らげる。

そんななか、ひとつ劇中に気になる「名前」が登場する。ホリーと同じアパートに住む日系アメリカ人のカメラマン“ユニオシ”だ。

ユニオシ? 日本人の名字としては、あまりにも違和感がある。この人物は1958年に発表されたカポーティの原作にももちろん登場するが、“ユニオシ”などという名字が実在するかどうかなんて、少し調べればわかりそうなものだ。日本が鎖国中の19世紀ならまだしも、戦後10年以上も経過した50年代末なら、新聞や雑誌に日本人の政治家の名前あたり、いくらでも載っている。

アメリカ人の考えるイメージで、勝手な名前をつけられた日系アメリカ人・ユニオシ。そんな、嘘くさい名前をつけられたユニオシの劇中描写もまた、相当に嘘くさい。

わざとらしい出っ歯、わざとらしいメガネ。部屋を悪趣味な日本風インテリアで飾り立て、ニューヨークのアパートメントなのに布団を床敷きし、不自然な浴衣(のようなもの)を部屋着にしている。ヒステリックにがなりたて、ドタバタコメディーのように物にぶつかる。しかも演じているのは白人俳優だ。アジア系ですらない。でたらめにもほどがある。

集合住宅の部屋番号がでたらめだと、その部屋の住人に宛てた大切な手紙が届かない。これは一大事だ。では、名前がでたらめだと一体なにが届かないのだろうか?

ヒントは1960年代のアメリカではなく、ごく身近にある。現代の日本には、“ユニオシ”に負けず劣らず嘘くさい“キラキラネーム”というものがあってだな……(以下略)

[Photo by K.Suzuki

『ティファニーで朝食を』(1961年・米)
監督:ブレイク・エドワーズ
出演:オードリー・ヘップバーン、ジョージ・ペパード

 


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稲田 豊史
編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD雑誌編集長、書籍編集者を経てフリー。主な分野は映画、お笑い、ポップカルチャー。編集担当書籍に「団地団 ~ベランダから見渡す映画論~」「人生で大切なことは全部フジテレビで学んだ」「全方位型お笑いマガジン コメ旬」「『おもしろい』映画と『つまらない』映画の見分け方」「『ぴあ』の時代」「成熟という檻 『魔法少女まどか☆マギカ』論」「特撮ヒーロー番組のつくりかた」などがある。URL

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