物語のなかの集合住宅:第15回『プラダを着た悪魔』――横と縦、アパートとタウンハウス

 

ジャーナリスト志望の女子・アンドレアは、超一流ファッション誌『ランウェイ』のカリスマ女性編集長・ミランダの第二アシスタントに採用される。傍若無人な鬼上司ミランダの理不尽なシゴキにめげそうになりながらも、アンドレアは少しずつ仕事をものにしていく……というのが映画『プラダを着た悪魔』の前半部だ。

アンドレアとミランダは、ふたりとも集合住宅に住んでいる。アンドレアは質素な1LDKの賃貸アパートに、料理人志望の彼氏・ネイトと同棲中。一方のミランダは超豪華なタウンハウスに、前夫との間にもうけた双子の娘、現在の夫と4人で住んでいる。タウンハウスとは長屋の一種で、複数フロアを持つ一戸建てが2つ以上くっついている状態と想像すればいい。日本ではテラスハウスとも呼ばれている。

ふたりの住まいの構造は対照的だ。

アンドレアのアパートは「横に伸びる家」である。リビングとダイニングの間には壁がなく、ダイニングと寝室の間は大きな窓で仕切られているので、部屋と部屋の間の見通しが良い。夜中、ダイニングで悩んでいるアンドレアをうかがいに寝室から出てくる彼氏――という描写もある。家の中にいる他者の動向を、常に気にかけられる間取りなのだ。

一方、ミランダのタウンハウスは「縦に伸びる家」だ。一応吹き抜けになってはいるが、玄関付近から上階の各部屋の動向はまったくわからない。ゆえに、毎晩ミランダ宅に編集中の『ランウェイ』最新号を仮綴じ状態で持って来る彼女の歴代アシスタントたちは、ミランダやその家族に会うことなく用を済ませることができる(というか、会うことが良しとされていない)。家の中にいる他者の動向が気にならない間取りなのだ。

彼女たちの住まいは、映画の後半であらわになる、それぞれの仕事観の比喩にもなっている。

仕事中のアンドレアの目線は、アパートの構造と同じく、常に「横」を向いている。隣の部屋にいる人間が何を思い、何を感じているかを常に察知し、職場の同僚の苦しみに心を痛める。だから、目的のためなら部下の気持ちなど平気で踏みにじるミランダを許せない。

しかしミランダは、最高の誌面を作るために「上」しか見ず、自分の要求に応えられない人間を「下」に見る。視線が縦移動なのだ。フロアの違いは住む世界の違い。別の階の別の部屋で誰が何をしていても、気にしない。耳に入れない。なぜなら彼女は、隣の部屋にいる人間の気配をシャットアウトするからこそ達成できる仕事の質、到達できる高みというものがあると知っているからだ。アンドレアとは別の価値観、別の正義を信じている。

物語終盤、ふたりが取る行動は正反対だ。ミランダは歴史ある『ランウェイ』の質と権威を守るべく動き、アンドレアは人を守りたいと思って行動する。これを住まいで言い換えるなら、ミランダは建物としての「ハウス」を、アンドレアは人がいる家庭としての「ホーム」に価値を見いだした。劇中、ミランダが現夫と離婚し、アンドレアがギクシャクしていた彼と復活するのはとても象徴的だ。

しかし、ミランダが不幸かというと、そうでもない。この映画が素晴らしいのは、どちらの価値観も否定していないことにある。その証拠に、ミランダとアンドレアは決別するが、ふたりともラストで別の種類の笑顔を浮かべている。

ミランダがアンドレアに「私たちは似ている」と言い、アンドレアが否定するシーンがある。さもありなんだ。ミランダもアンドレアも同じ「集合住宅」と呼ばれる属性の家に住んでいるが、その構造はまったく異なっている。

ということで、タウンハウスにはタウンハウスの、アパートにはアパートの良さがある……と行儀よくまとめるのは面白くないので、もうひとくだり。

この映画、レンタル店では「女子がお仕事がんばって成功しましたムービー」的なジャンルの棚に置かれている。しかしアンドレアは『ランウェイ』になんの憧れも持っていないばかりか、最初のほうで「今の職場で1年我慢すれば望みの仕事に就ける」などと言い放つ。華やかで、プロフェッショナルで、そこで働きたいと願う者が世界中にわんさかいる『ランウェイ』という職場も、彼女にとってはジョブスキルの鍛錬場でしかない。実際、ラストで彼女は一切の未練なく『ランウェイ』の出版社を辞める。

80年代の映画だったら、「ミランダのNo.2としてキャリアウーマン街道まっしぐら♪」といったラストで結ぶだろう。しかしアンドレアは、しがらみや旧来的な価値観に拘泥することなく、超軽やかに、職場を渡り歩くのだ。

『プラダを着た悪魔』は、日本の映像業界史的には珍しく「DVDが20代の女性にバカ売れした」作品だ。2007年の発売以降、DVDショップの間では、超優良・超ロングセラー商品として知られている。当時「若い女性はDVDを買わない」という常識はいとも簡単にひっくり返り、以来DVDメーカー各社は、「女子がお仕事がんばって成功しましたムービー」を売る際に、こぞって『プラダを着た悪魔』をお手本にしたほどだ。

リビングのテレビ台に『プラダを着た悪魔』のDVDをしのばせ、心にカンフル剤を打ちたいとき、本作を繰り返し見てきた女性たちの意識はどう変わってきたのだろうか。かつてのアンドレア女子がミランダ女子に、ミランダ女子がアンドレア女子にシフトチェンジしているかもしれない。

かつてアンドレアに自分を投影した彼女たちの大半は、30代を迎えたはずだ。少なくとも、劇中でどんどんオシャレになっていくアンドレアに「昔の服が好きだ」などとほざく彼氏ネイトのような存在とは、とっくに別れているに違いない。彼女たちは、快適な環境を手にするためなら、むしろ積極的に過去の自分を消し、躊躇なく上書きできる人間なのだから。

賃貸アパートのメリットは、「いつでも引っ越せる」ことにあるのだ。

 

Photo by Jeffrey

 

『プラダを着た悪魔』(2006年・アメリカ)
監督:デヴィッド・フランケル
出演:メリル・ストリープ、アン・ハサウェイ

 


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稲田 豊史
編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD雑誌編集長、書籍編集者を経てフリー。主な分野は映画、お笑い、ポップカルチャー。編集担当書籍に「団地団 ~ベランダから見渡す映画論~」「人生で大切なことは全部フジテレビで学んだ」「全方位型お笑いマガジン コメ旬」「『おもしろい』映画と『つまらない』映画の見分け方」「『ぴあ』の時代」「成熟という檻 『魔法少女まどか☆マギカ』論」「特撮ヒーロー番組のつくりかた」などがある。URL

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