物語のなかの集合住宅:第2回『トキワ荘の青春』――壁の薄さが育てたもの

 

トキワ荘とは、手塚治虫藤子不二雄石森章太郎赤塚不二夫といった日本を代表するマンガ家たちが、1950年代の若き日に部屋を借りていた木造アパートである。本作は、彼らの日常を静謐に描いた青春物語だ。

今ではもう、ほとんどなくなってしまったトキワ荘のような木造アパートは、とにかくプライバシーがないに等しい。共同玄関に共同トイレ、共同の炊事場。廊下と部屋を隔てるのは薄い引き戸1枚のみ。廊下を歩けばギシギシと床がきしむので、誰か廊下を通れば、部屋にいてもすぐわかる。

部屋に人がいる気配は廊下にまで伝わる。自室の引き戸を開ければアパート中に響きわたる。したがって居留守を使うことは難しく、ほかの住人に気付かれず帰宅することもまた不可能に近い。

そして、この「プライバシーがない」ことは、この物語において2つの、しかもまったく正反対の役割を果たす。

ひとつは、田舎から上京したマンガ家にとって、部屋にいながら、いつも廊下から誰かの足音が聞こえるのは、格別の安心感を運ぶということだ。劇中でも、20歳そこそこの藤子不二雄のふたりが、富山から上京してトキワ荘を訪れるが、彼らだけでなく、地方出身のほかの若手マンガ家たちは、いつも不安と隣り合わせだ。

昼も夜もなくマンガを描き、編集者から山のような駄目だしを食らい、落ち込んで泥のように眠る毎日。意気揚々と単身上京したはいいが、何のよりどころもなく、将来の保証もゼロ。不意に、自分が世界のどの部分ともつながっていないような、漠然とした不安が襲う。

そんなとき、廊下でコツコツと足音が聞こえる。冬の寒い朝、お湯を沸かしに共同炊事場に向かう隣人。深夜、一杯ひっかけて上機嫌で帰宅する先輩。編集者に詰め寄る猛者、田舎から家族が上京しているらしいお向かいさん――。

それで彼は思うのだ。ああ、自分はひとりじゃない。よし、明日も頑張ろう。そうして安らかな眠りにつける。

しかし、同じことが、のちに彼を苦悩もさせる。薄壁であることで、いやおうなしに他人の動向が耳に入ってしまうからだ。自分より売れている作家の部屋に編集者が大挙して押し寄せている。なのに自分には仕事がない……。

そんな現実の可視化は、ある者を奮起させて新たな才能を開花もさせたが、ある者の自信を失わせてトキワ荘を去らせたりもした。しかしプライバシーと引き換えに、のちの日本漫画界を支える才能がたくましく鍛えあげられたのは事実である。薄壁でなければ、『ドラえもん』も『サイボーグ009』も『天才バカボン』も生まれなかった。

現在、集合住宅の壁はトキワ荘と比べるべくもないほど厚くなり、プライバシーは守られている。では、もうトキワ荘から巣立ったような才能は生まれないのだろうか?

実は、もっと大きな「トキワ荘」は、あなたの目の前にある。“それ”を使えば、部屋に閉じこもっていても世界中の人の足音を感じられる。一方で、“それ”が運んでくる見知らぬ誰かの発言に傷つくこともある。しかし、“それ”は、日陰に咲いた小さな才能にも平等に晴れの舞台を用意し、多くの人目にさらすことで磨きあげてもいるのだ。

現代のトキワ荘。“それ”はもちろん、インターネットのことである。

[Photo by yoppy

『トキワ荘の青春』(1996年・日)
監督:市川準
出演:本木雅弘、鈴木卓爾、阿部サダヲ

 


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稲田 豊史
編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD雑誌編集長、書籍編集者を経てフリー。主な分野は映画、お笑い、ポップカルチャー。編集担当書籍に「団地団 ~ベランダから見渡す映画論~」「人生で大切なことは全部フジテレビで学んだ」「全方位型お笑いマガジン コメ旬」「『おもしろい』映画と『つまらない』映画の見分け方」「『ぴあ』の時代」「成熟という檻 『魔法少女まどか☆マギカ』論」「特撮ヒーロー番組のつくりかた」などがある。URL

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