物語のなかの集合住宅:第17回『ほえる犬は噛まない』――規則を守る

 

のちに『殺人の追憶』(03)『グエムル -漢江の怪物-』(06)などで世界的に評価を高める韓国のポン・ジュノ監督による初長編映画『ほえる犬は噛まない』(00)の舞台は、韓国のとあるマンモス団地。その管理事務所で働く事務員の女の子ヒョンナムが、団地内で発生する犬の失踪事件に巻き込まれる姿を描く、ブラックコメディ群像劇である。

団地は集合住宅のなかでも特に際立った「規則性の美」をたたえている。ソリッドで無機質な連続性を内包した構造。同じ形の窓や部屋が、機能性を追求した強固な理念にしたがって、整然と配置されているのだ。

団地が放つ美しさは人工的であり、数学的。野山や動植物を見て感じる美とは対極にある、「人の意志によって造られしもの」の美しさだ。ほころびや継ぎ目がなく、迷いや偶然性が排除された、レゴブロックのような趣。定規で計画的かつ精密に引いた線から絶対にはみださない、プロダクトとしての潔さが実に快感だ。映画でも、この団地の「規則」的な美しさは、多くのショットで楽しめる

※ここまでの審美が理解できない方は、これ以降の展開が意味不明です。すみません。

しかしこの団地の住人は「規則」を守らない。団地では犬の飼育が禁止されているが、住人は悪びれもせず普通に飼っている。道や病室につばを吐きまくる婆さんも出てくる。初老の警備員は当たり前のように「韓国は規則を守らない国だからな」とつぶやく。

その警備員は、仕事中にこっそり団地の地下で犬鍋を調理するという、二重の「規則破り」を犯している。ひとつはもちろん業務怠慢。もうひとつは犬鍋だ。ソウルの犬肉料理屋は1988年のソウルオリンピック時、欧米からの批判をかわすため、政府の取り締まりによって表通りから消えた。すなわち犬鍋を食すシーンは「欧米社会の取り決めたカギカッコ付きの“規則”を破っている後ろめたさ」の象徴なのだ。

そもそもヒロインのヒョンナムからして「規則」を守らない。彼女は仕事をよくサボって管理事務所を不在にするし、タバコの吸殻をナチュラルに投げ捨てたり、路上駐車している車のミラーを折ろうとする。可愛い顔をしているが、たちの悪いDQNと同じなのだ(なお、彼女は商業高校卒という設定である)。

最大の「規則破り」と思われるのが、この団地に妊娠中の妻と住む高学歴ワーキングプア(というか無職)男性のユンジュだ。大学院卒の彼はなかなか教授になれない鬱屈から、団地住人の犬をさらって地下に閉じ込めたり、屋上から投げ捨てて殺したりと、規則以前に法律すら守っていない。ついには学長にワイロを渡して教授に推薦してもらうという、社会的にみてかなり重大な「規則違反」を犯す。

しかし見方を変えると、ユンジュの行動は「規則を守っている」とも言える。犬の飼育はそもそも規則違反なので彼はそれを正しただけだ。「ワイロを渡さないと教授になれない」のは大学の構造的悪習という名の、事実上の「規則」であり、彼は「業界の規則を律儀に守った」にすぎない。

最後まで「規則」を破り続けたヒョンナムは事務所をクビになる。決め手は、事務職員としての「規則違反」――業務時間中に職場を離れ、ホームレスから犬を奪還する英雄的行動をとったこと――だ。対するユンジュは臨機応変に「規則」を守り続けた結果、見事教授になって安泰を手に入れる。

「規則」にはネガティブなイメージがつきまとうが、世の中は「規則(ルール)」を守ってこそ得られる美しさや、達することのできる高みにあふれている。音楽ならコード進行やハーモニー。絵画ならデッサン力や遠近法の知識。写真なら露出や絞りの基本知識。文章なら主語や述語の順番、「てにをは」や句読点の決まりなど。これら最低限の「ルール」を守ってこそ、「ルール」が基盤にあってはじめて、オリジナリティのある芸術的表現が生み出される。

スポーツもそうだ。スポーツは肉体的限界を追求する、ある種の芸術だが、それぞれの種目で厳密に決められた「ルール」が守られてはじめて、競技が成立する。ルールのないスポーツは単なる遊戯もしくは体力自慢であって、ここに人を感動させる芸術性は発露しない。

また、どんなに斬新なデザインの建物も、厳密な建築理論・土木理論に基づいて設計されている。この理論は、人類が長年にわたり試行錯誤して確立した「規則」の集積であり、人類の叡智そのものだ。

団地が「規則的」で美しいのは、見た目に同じデザインの窓やドアひとつひとつの向こう側に、まったく異なる家族や人生、幸福や不幸が詰まっている、否、詰まっている気配を観察者が感じ取るからだ。部屋の間取りが完全に同じでも、どれひとつとして同じ部屋はない。同じ住人はいない。同じ人生はない。逆説的だが、だからこそ規則性のなかに美を見いだせる。

はっとするような美は、規則的な繰り返しのなかにこそ生まれる、とも言える。単調なリズムの中でこそ、ささやかで繊細な旋律は輝きを増す。茶道は厳密に定められた様式的な所作の繰り返しのなかに宇宙を見る。毎日毎日、飽きるほど素振りした者だけがホームランを打てる。

「規則」に従ったユンジュは終盤、学長にワイロを持っていく電車の中で、会心の「ホームラン」を打つ。それは物語冒頭、まったく同じ状況に直面したヒョンナムが打てなかった球だ。ここは、全編を通じて最高に美しいシーンである。

「規則」に従うのも悪くない。その証拠に、この映画では団地内で多くの笑えない事件が起こるが、映画を観終わったあとも団地が嫌いにはならないのだ(ただし、このコラムの3段落目までに同意してくれた方に限る)

 

Photo by Sippanont Samchai

 

『ほえる犬は噛まない』(2000年・韓国)
監督:ポン・ジュノ
出演:ペ・ドゥナ、イ・ソンジェ

 

【追記】
本作の団地映画としての魅力――団地構造内での追いかけっこの面白さ、富裕層と貧困層のアナロジーなど――は、筆者が編集を担当した『団地団 〜ベランダから見渡す映画論〜』の166〜172ページで共著者の皆さんがあまりにも的確に語っているので、興味ある方は是非ご一読されたい。

 


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稲田 豊史
編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD雑誌編集長、書籍編集者を経てフリー。主な分野は映画、お笑い、ポップカルチャー。編集担当書籍に「団地団 ~ベランダから見渡す映画論~」「人生で大切なことは全部フジテレビで学んだ」「全方位型お笑いマガジン コメ旬」「『おもしろい』映画と『つまらない』映画の見分け方」「『ぴあ』の時代」「成熟という檻 『魔法少女まどか☆マギカ』論」「特撮ヒーロー番組のつくりかた」などがある。URL

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